“ママじゃない私” ポートレート

いつものあなたの、いつもと少しだけ違う顔。いろんなママたちの、「ママじゃない顔」ポートレート。

番外編: わかりにくさをおそれない

こんにちは、食欲盛んなインタビュー担当のエミです。

このコーナーでは、インタビュー中に出た話題(ポートレート記事に収録できなかった話題もいろいろあるんですよ~)をきっかけに、考えるともなく考えたことや、みなさんに聞いてみたいことなんかを、つらつらと書いてみたいと思います。感想などお聞かせいただけると喜んで木に登ります。

なるべく、読みやすいものを心がけたいと思うんですが、第1回はいきなり、私のフィールド(笑)、大河ドラマの話題から始まっちゃいます、えへ。私が大河オタクであることをよく知る たなかまさん が、私のために思い出して、ふと口に上らせてくれたんですね。
 

◆「わかりやすい」のは いいことか?

たなかま: 官兵衛って、割に、視聴率いいよね。

エミ: あーねー(棒)。(註:私は「軍師官兵衛」をあまり気に入っていない)

たなかま: 日経MJ新聞で、1回、「『軍師官兵衛』は好きですか?」って特集を組まれてたことがあって。

エミ: うんうん。

たなかま: 「好き」の理由を7-8人、「嫌い」の理由を3-4人分、取り上げてたんだけど、「好き」のうち3-4人が「わかりやすい」って言葉を使ってたよ。

エミ: はぁーーーーー(深いため息)

たなかま: ね、今、暗澹としたでしょ(笑)。で、「嫌い」って人は、「わかりにくい」って理由で嫌ってた。

エミ: あっはっは。嘆かわしいですな!

 

 

わかります? わかってくれます? この気持ち。この、「机バンッ!」案件。

わかりやすい、って、そんなにすばらしいことですか?!

と、声を大にして言いたいね、私は。

たとえば、大河ドラマ史に残る高視聴率を獲得した『独眼竜政宗』や『武田信玄』がわかりやすかったかといえば、どうですかね? 『政宗』の舞台になった戦国時代の東北の群雄割拠の状況とか、別に有名でもなんでもなかったですよね。

私はまだ小学校低学年だったから、なおのこと、よくわかってませんでした。『信玄』のころも、「信玄と正室の三条夫人は、やたら仲が悪そうなのに、子どもはうまいこと、次々と生まれるもんだなあ…」と、内心、不思議でした(笑)。でも、すごく面白く、衝撃的で、「なんかよくわかんないけど面白い!」と思ってました。

子どもの頃に、よくわかんないけど面白い、ってことに出会えた私は幸せだったと思います(その結果、歴オタですが…笑)。

 

◆右も左も増えてますよね…?

 

 や、日曜8時に小難しいものや暗いものを見たくない、って気持ちはわかります。なんたって“サザエさん症候群”真っ只中の時間ですもんね。「独眼竜」や「信玄」のころはまさにバブル華やかなりし時代だからこそ、多少暗かろうが気楽に見られたのかもしれません。現代の、この世知辛い現実では、お茶の間にふさわしいのは大河ドラマより「イッテQ」なんでしょう。しくしく。

・・・と、大河オタクの恨み節はともあれ(笑)、「過剰に」わかりやすさを尊び、わかりにくさ・難しさを忌避する風潮って、あるなー、と思うんです。

池上彰がニュースやら何やらを「わかりやすく」解説してくれる番組って人気ですよね。比べて、ハーバード大の人気教授、サンデルの講義番組(白熱教室、という名で時々テレビでもやってる)がお茶の間で人気を博しているという話は、寡聞にして聞いたことがありません。サンデルの講義は、わかりやすい結論を出さないんですよね。考えさせて考えさせて、さまざまな意見を出させて、それでおしまい。

思い起こせば、「自民党をぶっ壊す!」 とか 「郵政民営化の是非を問う選挙です」 とかいう “ワンフレーズポリティクス” で小泉純一郎元首相がお茶の間を席巻したころから、なんか、「わかりやすい=good」 「難しい=bad」って価値観が、おおっぴらに市民権を得てきた気がするなあ。

SNSなんか見てると、右巻きの人・あるいは左巻きの人って、今、すごく多いですよね。「○歳と○歳の子どものママです☆」 なんてプロフィールに書いてる人が、ものすごい勢いで、ものすごく政治的な発言、それも、かなり過激で排他的な発言を繰り返していたりして、びっくりします。

いえ、それもまた「ママじゃない私」って話かもしれなくて、ママだって、ママであると同時に有権者なんだから、政治的信条をもつのは、本来、不思議なことでも、ゆゆしきことでもないはずです。「政治なんて興味ナーイ」 って人より、参政意識があって、いいのかもしれません。

でも、やっぱり首をかしげてしまうところがあります。一方を絶対的に賛辞し、もう一方を激しく攻撃するような、極端な二項対立に陥るのは、「わかりやすさを尊ぶ」風潮の弊害のひとつじゃないか、って気がしてなりません。「あなたの主張が絶対に間違いのない真理なの? わかった気になってるだけじゃなくて?」って思っちゃうんです。

わかりやすさを過剰に尊ぶのも、極端な意見に偏って疑わないのも、等しく思考停止なんじゃないかと思っちゃうんです。


わからないことだらけの世界に生きている

 

「シンプル イズ ベスト」って概念のすばらしさもわかりますよ。「同じ釜のメシを食っときゃ、なんとかなる」(by 朝ドラ『ごちそうさん』の大吾=原田泰造) って考え方とかね、大好きです、私。まあ、ドラマでも、それでなんとかなりは、してなかったんですけどね(笑 みなさん見てました?和枝さんイケズ編。さいっこうでしたよね!)。

営業マンや、税理士先生や…上司と部下、友だち同士だって、わかりやすい説明、わかりやすい伝え方を心がける必要があるのは当然です。

でも、それだけじゃないですよね。世界は。

世界は、わからないことにあふれてる。異文化も、宗教も。政治も、経済も。富める人と貧しい人がいることも。男と女も。隣の人の気持ちだって、「OK、わかってる。」とは、とても言えませんよね?

私たちは、わからないことだらけの世界に生きてる。簡単にわかったふりをするのも、「わからない・難しい」といって投げ出すのも、どちらも、スタンスとしてどうなのかな、って私は思います。

「わからない」という事実を受け容れて、でもあきらめず、投げ出さず、「何がわからないのか」を心に留めておいて、「すぐに答えは出なくても、少しはわかることもあるんじゃないか」という思いで、世界と向き合いたいです。

そうやって、少しずつ見えてくる、裏側や、隅っこ。違いや、共通点。想像もしなかった事実。つながり。そういうのが胸に溜まっていくのが、面白くて、楽しくて切ないんじゃないかと思います。だから、やめられなくなるんじゃないかと思います。わかりやすい一言で説明されて、わかった気になって、スッキリするだけで終わるよりも、ずっと。

「わかった」と思うことって、実は、そこで考えるのをやめちゃう、ってことかもしれないな、って。
 

◆答えるチカラより問うチカラ 

 

考えてみれば、私たちは子どものころから、○か×かの世界、簡単に答えを出す世界に慣らされてるのかもしれないですね。学校のテストや、感想文で。そこでは、「わかったか、わかってないか」が、とても単純なものさしで測られたあげく、「わかる=good」という価値観で支配されている。

戦争文学を読まされたら、そりゃ、子どもは「戦争は良くないと思いました」って書くよね。差別もいじめも「絶対ダメだと思います」と。そうやって結論を出して、ハイおしまい、じゃダメなんですよね。そんな、誰にでもわかりやすい結論にもかかわらず、戦争も差別もいじめも、なくなってないもん。

やっぱり、よく言われるように、答えるのは簡単なんだよな。難しいのは質問すること。あらかじめ決まっている答えを正解するよりも、何が問題なのかを見つけ、それと向き合うこと。

わかりやすさに安住せず、難しさを恐れないこと。

…って、あれ? 「質問する人=インタビュアー」のハードルを無駄に上げてしまった気がせんでもないな。あのぅ、みなさん、私からの質問には、わかりやすく答えてくださいね、てへ。


f:id:mamajanaiwatashi:20140503081730j:image:w400(撮影 橘ちひろ)