質問する人:イノウエエミの 「“ママじゃない私”ポートレート」 を始めるまで
2010年に出産して母親になりました。子どもはかわゆく、育児は面白く、新しいママ友もたくさん(?)できました。ありがたいことです。
だけど時々、息が詰まるような思いを感じていました。
自分が「ママ」という人種になってしまったような、「ママ」という生き物にならなきゃいけないような気がして。
日々、おっぱいをあげたり、おむつを替えたり、予防注射のスケジュールを立てたりしながらも、
私は、以前と変わらず、めんどくさがりのお調子者で、ミーハーでオタクで、イケメン俳優にキャーキャー言ったり、朝ドラや大河ドラマにかじりついたりしていたのです。
万に一つも育児とは関係なさそうな本を読み。
頼まれもしないブログをせっせと書いては垂れ流し。
卒乳と同時に、ランニングの習慣も復活しました(同時に、アルコール戦線にも復帰したので、ちっとも痩せないのだけど)。
そんな話は、ママ同士のお付き合いの場には、どこかそぐわないものがあります。そこで交わされるのは、子どもの話や、育児の情報交換が主ですから。
でも、子どもの話の合間に、ふとママ友さんの「人となり」が垣間見えると、妙にうれしくなります。この人も、ママなだけじゃないんだよな、と。
それぞれの故郷やキャリア、趣味や好きなもの…いろんなものが積み重なったうえで、今、こういうママなんだな、と。
どんな人の経歴も、個性も、ひとつとして同じものはなく、聞けば聞くほど興味深くて、なぜか励まされます。
私も身についた島国の人間のDNAで、ふだんは「“人と同じ”が安心」と思いがちなのだけれど、実は、それよりももっと安心するのは、「みんな違う」という認識なんじゃないかと思います。
人と人は、同じことよりも、違うことのほうがずっと多くて、それがあたりまえなんですよね。
「少数派かも」「私だけが違うのかも」って不安になることがある。
きっと、ほんとは、そんなことはないんです。みんな、それぞれ、違うんです。ほんとは。
違うけれど、みんな、それなりに一生懸命、毎日を生きてるのは同じ。
そう思うと、不思議に自由ですがすがしい気持ちになり、かえって他者への敬意や連帯感が生まれる気がします。
自分自身のことも認められるように思います。
いろんな人がいて、いろんなママがいる。
今、たまたま同じ時代、近いところで子育てをしていて、縁があって、知り合った。
面白いですよね。
いろんな人のいろんな話を聞いてみたいなと思います。
そして、できればそれを、いろんな人にも届けてみたい。誰かの言葉が、ほかの誰かを励ますんじゃないかと思うんです。
■moonshine 誰に頼まれもしない、一銭にもならないけど、延々と続けてる私のブログです。身辺雑記、見たもの・読んだもの・ランニング記録・子どもの記録など。徹頭徹尾テキストサイト。しかも無駄に長文でごわす。