“ママじゃない私” ポートレート

いつものあなたの、いつもと少しだけ違う顔。いろんなママたちの、「ママじゃない顔」ポートレート。

vol.9 ブーヴィエ・フローレンシア・明子 の 「ママじゃない私」ポートレート (前編)

 

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                                             (写真はクリックで拡大されます)

 

ブーヴィエ・フローレンシア・明子さんを紹介します。

  • 1978年: 日系4世のアルゼンチン生まれ育ち。
  • 14歳: 父の仕事の関係で家族5人で日本に住むことに。この時、父以外は日本語ができない。中学・高校時代は福岡で過ごす。
  • 18歳: 東京の大学に入学。フランス語専攻。
  • 22歳: ステンドグラスに会社に就職するが、自分でガラスで何か作ってみたいと思い翌年に彼とフランスにいく。パリで仕事しながら吹きガラスを始める。サイト「アンキングラス」
  • 27歳: 東京外資系の法律事務所で仕事しながらガラスの勉強を続ける。
  • 31歳: 長男が生まれるのを機に福岡に戻る。東京で子供を育てたくなかったのが理由。
  • 現在 (3人目が生まれてから)はガラス制作は休憩中だけど授乳が落ち着いたらまたゆっくり再開していきたい。

夫のガブリエルさんは、フランス人の父・日本人の母との間に生まれ、高校まで福岡市で育ち、アキちゃんと同じ東京の大学へ。卒業後、2人は、パリ~沖縄東京~そして結婚後は福岡と、ずっと一緒に暮らしてきました。お子さんは、4才のエミリオれんちゃん、 2才のソフィアゆりちゃん、そして7か月のパブロしょうちゃんの3人。

14才で日本に来た彼女は、ほどなく、中学の同級生である「ママじゃな」撮影担当、橘ちひろ(アキちゃんは「ちろ」と呼ぶ)と仲良くなり、今や20年来の親友ということになります。現在は家族5人で宗像市に在住。



◆「どこ行ってもみんなと違う。でも、ラッキーかも(笑)」



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―――私は個人的に昔からマイノリティーの問題に敏感でね。多様性が尊重される世の中であってほしいなあー、なんて漠然と思ってきて、この「ママじゃない私ポートレート」の企画も、そういう気持ちでやってるんだよね。で、アキちゃんの経歴には、ある意味みんなと違うとこがあると思うから、その辺のこと、良かったら聞きたいんだけど。

うん、結局どこ行ってもみんなと違う感じなんよ私。そういう環境で育ったってのもあるし、自分も他の人と違うものが好き、そういう性質もある。自分から選んでしまうところもあるんだよね、なんていうのかな・・・

―――好きなものを自分で選びたいってのもあるだろうし、選ぶものが、自然と周囲と違うってのもあるのかな。

そうそう、たとえばさ、私、のみの市、フリマとかめっちゃ好きなんよ。人がゴミと思うようなもの、人は絶対欲しがらないものが欲しくなるから、自分としてはラッキーと思うわけ。

この家も賃貸だけど、ちょっと安いの。私たちの年代の夫婦だったら、普通、駅の近くできれいで新しいマンションに住みたいって思うんだろうけど、私たち夫婦の場合は、古くてもボロくてもいいから、ちょっとでも庭があって、広くて・・・ってとこを選ぶけん、私たちからしたら、ラッキーなんよ。


―――他の人と競争にならないもんね。

そうそう。洋服とかも同じ。「あーよかった、みんなと違う趣味で」って。そういうことが多いの。

―――子どものときからそうだった?

どうやろ。あんまり考えたことなかったけど、うん、今思うと、そうだった。たとえば、カトリックの国なんよアルゼンチンって。日曜日は礼拝に行ったり。小学3,4年生ぐらいから放課後に神学の勉強がある。友だちはみんな、勉強したいって言ってやりよったけど、私は「絶対せん、やっとられるか」って。今思えば、それが一番最初だったかも。

―――アルゼンチンでは現地のコミュニティで育ったんだよね。アキちゃんのお父さんは日本人だけど、ほかにも、外国人やハーフの人、いた?

もともと原住民インディオなんだけど、スペインイタリア移民が一番多くて、ほとんどが白人ばっかり。混血も西ヨーロッパ系。アジア人はほとんどいない。今は韓国人が増えたりしてるけど。ブラジルには日本人たくさんいて、日本人コミュニティもあるけどね。ペルーも。でも、アルゼンチンにはいないね。

マイノリティ・・・そうね・・・れんちゃんが小学校に入ったら、また私たちモロに実感すると思う。なんか、いろいろありそうだな。

それ以前にね、私のダンナ、ずっと昔から、子どもは学校には入れんどこうね、ってずっと言ってて・・・想像力をかき消すような教育でしかないから、って。私は、そのときになってから考えればいい、ってずっと思いよって。ガビちゃん(ダンナさん)の考えは、すごく尊重しとるけど、でも学校に行かせないなら、まず友だちを自分で探しに行かないかんし、まあ、いろいろあるやん? あと2年・・・どうするかわからんけど、思うこといろいろあると思う。


―――学校に入れるにしても、入れないにしても、どっちにしても考えるよね。


アルゼンチンから日本へ。さびしさや、暗黒の高校生活



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―――日本に来たときは、言葉もわかんなかったんだよね?

そう。ひらがなを習い始めたのも、日本に来る3か月くらい前でね。

―――こっちに引っ越してくること自体、イヤじゃなかった?

日本に住むのは楽しそう、って思ってて。旅行で来たことあったし、お菓子とかおもちゃとか、ヤバい、すごいって思っとったから。ワクワクしとったよ。でも、おじいちゃん・おばあちゃん・いとこたちと離れ離れになるけん、それがさびしかったね。毎日のように会ってたからさ。(アルゼンチンは、日本から)一番遠いけんね。当時はスカイプもメールもないけん、文通したり・・・電話代もすごい高いけん、「はいはいはいはい」って、すぐ切らないかん。さびしかったよ、最初。

―――ちひろちゃんとは、すぐ友だちになったと?

ソフト部に入ってからは、すぐにね。それから高校までずっと一緒。中学校は楽しかったんよ。でも、私もう、高校が好かんかったと。

―――(ちひろ) わかるー。

ほんとねー、全然記憶にないとって。好かんかった、てことぐらい。ずっと辞めたいと思ってた(笑)。お母さんが言うにはね、私、家に帰ってきてもずっと死んだような顔して、話しかけても、「うん」「普通」「わからん」とか、一言だけで、なんもしゃべろうとせんかったって。私の記憶では、リュック背負ったままごはん食べたり。疲れ果ててて・・・

―――全体的に楽しくなかったの? まあ授業はもちろんとして、友だちとか・・・

―――(ちひろ) 基本が集団行動でね。

周りの人は良かったと。軍隊みたいな学校なんよ。規則とか。とにかく、上から押さえつけるような、それこそ人格をつぶすような・・・私なんかのびのびと育って、全然違うとこから来たから。

―――でも、行くのは行ったんだ。休まずに。辞めずに。

行ってたね。子どもだったから、辞めたいとは思うけど、本当にやめるって考えは、よぎらなかったね。うちの家庭も、大学まで行くのがあたりまえ、みたいな感じだったから。



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東京の大学へ。人生のパートナー、ガブリエルとの出会い

 

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―――大学は、その大学に行きたくて選んだ? 東京に行きたかったとか?

東京っていうより、その大学だね。で、行ったら、めちゃめちゃホームシックになって。最初の数か月は、ずっと帰りたいと思っとった。

―――ひとり暮らし?

うん。初めて家族と離れて、もう、さびしくて、電話でもいっつも泣きそうになってた。うしろから、弟ふたりの声が聞こえてきたりして、「もう切る」って。それが過ぎたら楽しくなったけどね。大学も、最初はけっこうがっかりしてたんだけど、結果的にはすごく面白かった。小さい学校で、みんな顔見知りみたいな感じ。

―――勉強は好きだった?

嫌い!(笑) 大学はねー、フランス語はまだ良かった。語学は割と得意なほうやけん。でも勉強は好きじゃなかった。

―――ダンナさんも、同じ学科だったんだよね。

そう。彼も福岡で生まれ育って。とにかく目立ちたがり屋よね。変なことばっかりしよったよ(笑)。

―――大学の間は、友だちだったんだ。

友だちで、私もう、ずーっと好きだったんよ。

―――うわー、そうなんだー。相手に、伝えてはなかったの? 気づいてたかな?

うんまあ、気づくよね(笑)。すごい好きだったね。

―――そんなに大好きな人と結婚して、今じゃ「最高のパートナー、最高のお父さん(事前アンケートの回答に記載)」って言えるんだもんねー。でも、一緒に生活してるうえで、細かい不満とかないの? たとえば子どものおむつ替えてほしいとか、あたしも休憩したいんだけどとか(笑)

うーん、あんまりないかなあ・・・私けっこう潔癖やけん、最初、パリで一緒に暮らし始めたときは、常に散らかっとうのが耐えれんかった。そういうことでよくケンカしてたけど、今はガビちゃんが、私がそういうの好かんのもわかってるし、きれいなほうが気持ちいいのも感じとうけん、汚したり散らかしたり、あんまりなくなった。

―――そっかー。暮らしていくうちに、ふたりにとって心地いいスタイルが自然とできていったのかもねー。
彼は、お父さんはフランス人だけど、日本でずっと育ってるから、心の中は日本人に近いのかなあ?

私はね、ここにいると、日本人じゃない。でも、アルゼンチンにいても、アルゼンチン人じゃない。ガブリエルも一緒・・・あ、違う、今わかった。ガブリエルの場合はね、向こう行ったらフランス人だ。で、こっちにいたら、日本人だ。私とは逆なんよ。たぶん。

―――へーっ、そうなんだ!

今思った、たぶんそうなんよ。見るほうは、違うって感じるかもしれないけど・・・



結婚式は無し。入籍すら迷ってた

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―――卒業して、一緒にパリに行ったんだよね。両親は反対しなかった?

したよー! 「一緒に行くのはいいけど、結婚しなさい」って。親にしたら、世間の目もあるし、自分たちも安心したい、って。

―――恋人でいるより、夫婦として見られたほうが、世間はきちんとした関係として扱ってくれるとこがあるもんね。

でもガビちゃんはさ、結婚って制度も反対でさ。私は、その制度自体はおかしいとこあるけど、仕方ないって・・・ガビは自分はそれには絶対縛られん、その制度には入らないって。でも、れんちゃんをお腹に授かってから、「子どもを育てるには福岡じゃないとダメだよね」って話になって。

私、福岡市内はイヤだったし・・・これからもね、都会に住むことはないと思う。どんどん、人が少ないところに行きたい感じ(笑)。で、「宗像に住むなら結婚しないとダメだね」って、れんちゃんが生まれる一か月前ぐらいに籍入れたんだけど、もうね、適当よ。やっつけ。結婚記念日とかもわからん、って感じ。


―――結婚式とかは?

してない。全然。

―――友だちとのパーティとかも?

今思うと、それぐらいはしてもよかったかなと思うけど。結婚式は絶対イヤと思っとった、昔から。でも、ちろのは良かったね。神社でね。こぢんまりとしてさ、家族で。

―――(ちひろ) 全部で27人。

あ、そんな少なかったっけ。

―――(ちひろ) うん。お互いの親友レベル2人だけ、あと親戚代表、それと家族。

そうそう。で、和装でね。ああいうのだったらいいなって思ったよ。


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(結婚式はしなかった、でも、玄関にはたくさんの素敵な家族写真が。宗像のイナバフォトスタジオで撮影)


ガラスと出会い、やがてパリへ。その生活

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―――「好きなものや趣味は、子どもの頃からあんまり変わってない」ってアンケートに書いてたよね。どんなものが好きだった?

たとえば、アクセサリー。おばあちゃんが、パールの指輪とかネックレスとか作ってくれたり。好きな遊びは、秘書ごっことか、銀行屋さんとか。メモ帳とか電卓とか用意してね。一番好きだったのは、家の前でお店屋さんを開いて、自分のいらなくなったおもちゃとか、自分で編んだブレスレットとかを売るの。小学校の頃ね。海に行けば、きれいな貝殻とか石とか見つけたり。

―――(ちひろ) やっぱり、装飾品とか好きだったんだね。きれいな、キラキラしたものっていうか。

―――どんなルーツを通ってガラス吹きにたどりついたのか、すごい興味あるんだよね。

なんか習い事してみたいなーって思って、西武カルチャースクールに行ったと。東京で。

―――大学時代?

そう。そこで、おばさんたちと混じって、ステンドグラス作って。ランプシェードとかパネル作ったり。わー、ガラスって面白いな、って思って。で、3年生ぐらいから、就職活動もぼちぼち始まるでしょ? 私一回も、説明会も面接も行ってなくて。仕事は、せないかんと思ってたんやけど。

たまたま、電車の中からステンドグラスの会社がいつも見えてて。卒業式の数日前に行って、「もうすぐ大学卒業で、就職先を探してるんです」って。「じゃあここで働くか?」って社長に聞かれて、「お願いします」って、それが卒業式の日。


―――ひえーすごい。

でも営業でね、全然楽しくなくて、「これ、辞めないかん」って思って。3か月だけ、そこで働いたのは。でも、ガラスはやりたい、って思ってたから、日本で勉強するか、ガラスならアメリカヨーロッパ・・・まあ、せっかくフランス語も勉強したし、パリにね。

―――ガブリエルさんも一緒だよね?

うん、もともと映画を撮りたい人で。一年後ぐらいに弟もパリにきて、一緒に長編映画を撮ったの。一年ぐらいかけてね。それからも、ずーっと、なんかいろいろ作っとうよ。

―――変な話、パリにいる間は、生活費は自分たちで?

そうそう。私は、工房に通うのは週に1回か2回だったんよ。それ以外はずっとバイト。ガビはずっとベビーシッターしよったし、カフェでウェイターも。私も、カフェに、和食屋も長かったね。最後の一年は、派遣で、ルノーの本社で受付したり。

―――すごいね! 職はあるんだねー、外国人でも!

ルノーは、日産合併したころだったから、日本人がいっぱい来るってことで、日本語を話す人を探しとったんよね。

―――生活の不安はなかった?

もう、その日の暮らしだけよね。余裕はなかった。フランスに住んでて、旅行もしてないしね。もっとあれこれ行きたかったけど・・・

―――子どもができるとなかなか旅行もできないからね。

ほんと、もったいなかったよ。今思うと。

―――(ちひろ) でもアキ、れんちゃんが生まれて割とすぐ、アルゼンチンフランスは行ったよね。それぞれおばあちゃんがいるから、見せたいって。

6か月のとき、アルゼンチンにね。3ヶ月かな、けっこう長くいたんよね。ガビは仕事があるから途中で帰ったけど。そのあと、フランスのおばあちゃんとこに。ソフィアがお腹にいるときは、シンガポールも行った。弟が転勤で行っててね。

―――ワールドワイドだねぇ。

でも、もう行けんよ。子どもが2才過ぎると、大人料金なんよ。だから、もう行けん。もう終わった、旅行は(笑)。

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(室内にはたくさんのアンキングラスの試作品がある。)

後編では、いよいよ、アキちゃんの作品「アンキングラス」が登場! そして今思う、子育てのこと、生活のこと・・・お楽しみに!

 

 

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