番外編: 迷惑かけたりかけられたりですよ
(撮影 橘ちひろ)
こんにちは。
幼稚園児と過ごす夏は暑い! スイカが手放せない2016サマー! エミです。
◆人に迷惑をかけたらいけないけれど・・・
「人に迷惑かけちゃいけません」
家庭でも学校でも必ず教えられることですよね。
みんなが深く心に刻んでいて当たり前にそう思っていることは、
礼儀正しさや順番を守るみたいな、日本人の美徳につながっているのだろうとも思います。
けれど母親になると、それ以前に比べて、
「今、迷惑かけてるかも…」と思う場面は、何倍にも増えますよね。
子どもがもっと小さかったころ、外から帰るとぐったり疲れていたのは、
抱いた子どもやたくさんの荷物の重さのせいだけではなくて、
人様に迷惑をかけないよう
白い目で見られないように
と
無意識のうちに気を張っていたからだと思います。
当時はそれを「しょうがない、みんなこうやって頑張ってるんだ」と思っていました。
でも、本当にそうなのかな?
みんながそうやって頑張るから、変わらないんじゃないかな。
◆
思い出すのは、以前読んだ本で宮崎駿が言っていた言葉です。
他人に迷惑をかけないなんてくだらないことを誰がいったのか知らないんですけれども。
人間はいるだけでおたがいに迷惑なんです。
そう思ったほうがいい。
お互いに迷惑をかけあって生きているんだというふうに認識すべきだってぼくは思う。
本当にそうだなと思って、
それからずっと、この言葉が胸にあります。
バスを降りるときベビーカーがもたもたしてたら迷惑かもしれませんが。
そこにいた人がサッと手伝えば済むんじゃないかな。
子どもが泣いてぐずるのに居合わせればうるさくて迷惑かもしれませんが。
(そのうるささがいかにしんどいか、当の母親が一番よくわかっております…)
「いいよいいよ、子どもだからしょうがないよ、大丈夫だよ」って目で見てもらえたら。
出かけるのはもっと楽になりますよね。
子育てはもっと楽になりますよね。
そうなったらどんなに楽か。
どんなに優しい世界になるか。
私はいくつもの経験で、実感しました。
◆やれば簡単、代打弁当
6月のある朝、私が作ったお弁当です。
お料理はそんなに得意じゃないので、恥ずかしいんですけど、えへ。
うちの子どもは今、年長男児1人なのに、なぜ2個のお弁当かといいますと、
夫の・・・ではなくて(うちの夫は自分の弁当は自分で詰める、エラい弁当男子)、
クラスのお友だちの分なのです。
彼のママが、赤ちゃんを出産して間もないので、
週に2回のお弁当を、1ヶ月ほど、クラスの何人かで交替ばんこに作っていたのです。
これは、7月のある朝。
さっきとはまた別の、産後のママの代わりに作ったお弁当。今度は女子弁。
いや、別に内容は変わりばえしませんが・・・えへ。
あっ、うちの園は、キャラ弁とかとは無縁の、地味弁推奨なのでね!!
そこんとこご理解よろしくね!!
もとい。
この、「産後のママには代打弁当」って、うちの園の伝統らしいです。
人に話すと、「えーっ!!」ってびっくりされるんですが。
私も、入園する以前ならびっくりしてたと思うんですが。
全然、大変ではないんです。
7,8人くらい?(下に小さい子がいる人や、お仕事で忙しい人…など“じゃない”ママ)でローテーションを組むからね。当番が回ってくるのはほんの時々。
◆
いいことは、いっぱいあります。
産後のお母さんが、ちょっとでも楽をできる。
それが直接的なメリットだけど、それだけではありません。
ママの手や目が、生まれてきた赤ちゃんにどうしても向く時期。
代打弁当を食べていたクラスメートが、
「今日は、○○のママが作ってくれる」 「今日はどんなお弁当だろう」
と、毎回楽しみにしていた様子をママから聞きました。
みんなが自分のことを思って、何かをしてくれる。
そんな喜びを、幼稚園児もちゃんと感じるんですよね。
そして、お母さんのほうも、自分がしてもらって心底うれしかったから、
いつか誰かが産んだときには、同じことをしようと思える。
◆
現代日本で、「お弁当、代わりに作るよ」ってママ友に言われて素直にOKできるか?
なかなか難しいと思います。
迷惑かけちゃうからとてもお願いできないわ。
って思うほうが多いんじゃないかな。
逆に、クラスのママ友に「お弁当、代わりに作るよ」と申し出ることも、なかなかできないんじゃないでしょうか。
恐縮されて、かえって気を遣わせるんじゃないだろうか、とか。
出しゃばりと思われちゃうんじゃないだろうか、とか。
でも、経験があれば、スムーズに言えます。
「私もしてもらったんだよ。あなたもいつか誰かにしてあげればいい」って。
そして、自分もしてあげた経験があれば、
「全然、大した負担じゃなかったわ」
って実感があるから、また次に自分の番が来たとき素直に言えます。
「ありがとう、お願いします」と。
誰かがちょっと手を差し伸べれば、
余裕があるときにちょっとの負担を受け容れられれば、
誰かがおおいに助かる。
その誰かが大変なときは、また別の誰かが。
「人に迷惑をかけず」
「自分のことは自分で」
「自己責任」
しゃかりきにそう頑張り、他人にもそれを求めるよりも、
楽で、気持ちよくて、本来、自然な気がします。
京都大の総長でゴリラ研究の大家、山極壽一さんが、
「太古の昔から、
人類と動物との決定的な違いは、火の使用より二足歩行より言語より、
『共食』 と 『共同保育』である」
と言っていました。
人はもともと、助け合う生き物だったのです。
◆自分にも人にも、「お互いさま」と思えたら
代打弁当に限らず、幼稚園では
「してもらう → うれしい → だから自分もしてあげる」
という、ポジティブなサイクルができているなーと感じることがよくあります。
そのサイクルに乗っかると、とっても楽で、しかも何だか心持ちが良いのです。
もちろん、うちの園だけでなく、育児中の相互扶助は多くのところでされているでしょう。
けれど、そうじゃない環境で育児をしている人も、きっといるでしょう。
育児中の輪の外側の社会では、
「助け合い」より「自己責任」の風潮のほうが強いようにも思います。
「人に迷惑をかけてはいけない」
その迷惑は、実はそんなに大したことじゃないかもしれない。
「迷惑かけないようにしなきゃ・・・!」
その頑張りは、他人に迷惑をかけられたときの、狭量さにつながってしまうかもしれない。
私たちはみんな、一人だけでは、自分の家庭だけでは生きていけない。
迷惑をかけたりかけられたりして生きている。
考えてみれば、それって、昔からの言葉にありますよね。
「お互いさま」
子どもが少なく、高齢者が増えていく国。
経済成長の望めない国。
たびたび天災に見舞われ、エネルギー問題を抱えた国。
日本だけでなく、どこを見ても、政治も選挙も世論も、
不寛容と攻撃性を増しているように思います。
今、必要なのは、「自己責任」でなく「お互いさま」なんじゃないかな・・・。
つらいときは 甘えさせてもらおう
そのかわり できるときは 人を甘やかそう
優しくされたらうれしい
だから優しくしよう
そんな世界で子どもを育てられたら
子どもたちみんな そんな世界で育つことができたら
(撮影 橘ちひろ)