番外編: 働く背中
東京みやげに歌舞伎座の「隈取りシートマスク」はいかがですか? こんにちは、エミです。
◆21世紀に世襲って・・・
突然ですがみなさん、「世襲制」って聞くと何を思い浮かべますか? あ、「現代の」世襲制ね。将軍とかじゃなくて。
世襲議員、二代目社長、タレント親子・・・。そして、歌舞伎を始めとする伝統芸能。いずれにしても、良いイメージはなさそうですね。
かなり前ですが、ダウンタウンの松っちゃんが、すこぶる否定的な発言をしていました。
「人間国宝だーとかいって有難がるけど、歌舞伎の家に生まれりゃ誰にでもできるようになるんやったら、大した芸と違うんちゃう?うんぬん(意訳)(エセ大阪弁)」。
才能と努力とでお笑い芸人として一流になった、という強烈な自負が見え隠れする意見でした。歌舞伎好きを自認する私も「うーむ、一理ないとはいえない・・・」と思わされたもんです。
ま、時代錯誤ですよね。世襲だなんて。職業選択の自由、それは現代社会において当然の権利です。いえ、それは建前で、実際は格差社会が広がりつつあったりするのでしょうが、「職業選択は自由であるべき」という概念は皆が共有しているはず。
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私は歌舞伎が好きで、それから“バックステージもの”も好きなので、テレビで歌舞伎役者のドキュメンタリーや特番などをやってるとよく見ます。その中に必ず出てくるのは、家族の話題。
奥さんや子どもとの微笑ましい話。感動秘話。ま、歌舞伎役者に限らず、普通の芸能人でも、むしろ一般人でも、親子で出演する「家族アルバム」的な番組ってありますもんね。プライベートの切り売りも仕事の一部ですよね。
・・・なーんて、割とシラーッとした目で見る(というか、興味ないので見ない)のが私の基本姿勢なのですが、最近、ちょっと違う気持ちが芽生えましてね。
◆子どもを許容できる職場
この新春(だいぶ前だな)、市川海老蔵と中村勘九郎の特番をそれぞれやってたんですね。2人はまったく違うタイプの役者なんですが、共に30代で、近年、偉大な歌舞伎役者であった父親を亡くしている点、共通しています。また、彼らは共に、幼い子どもたちを持つ父親でもあります。
当然、特番にも出てくるわけですよ。子どもたちが。
(勘九郎の2人の子どもたち。ニューヨーク公演にも家族で行く)
男の子は跡取り候補です。となると、物心つくかつかないかの頃から稽古し、初舞台を踏んで・・・言ってみりゃ大人の勝手ですよね。かわいそうなのかもしれません。
でも、彼ら結構楽しそうなんです。ていうか、幼児だから、基本、自然体ですよね。小さい子はマネっこが好きだから、芝居のキメせりふを言ったり威勢よく見得を切ったりします。褒められるとすごくうれしそうです。もちろん、厳しく指導されたりする姿はかわいそうなんですけど。
(怒ってても、子ども相手の優しい顔ではある。怒られてる方はそんなのわかんないだろうけど)
子どもは天真らんまん。稽古場でも楽屋でも、走り回ったり、大人にじゃれかかったり。父親同士が同じ舞台に出ていると、子ども同士で遊んだりもします。
気に入らないことがあれば機嫌を悪くしたり、泣いたり。眠くなれば寝て、1公演時間まるまる、楽屋のソファで寝たり。
それを、母親や、おばあちゃんや、お弟子さんやスタッフ、そして歌舞伎役者、誰かが見守って、相手をしたり、叱ったりしています。勘九郎の息子、七緒八くんの場合は、七之助おじさん(勘九郎の弟ね)がかなり良い遊び相手になってるみたいですね。
なんかいいなあ、と思います。稽古場も楽屋も仕事場ですが、子どもの存在を許容するスペースというか、余裕があります。母も子も、家庭に閉じ込められず、いろんな人との雑多なふれあいがあるということ。
開演を前に化粧台に向かう父、勘九郎のそばを、息子の七緒八くんがちょろちょろ走り回ります。もちろん子どもを邪魔に感じるときもあると思うんです。でも、無邪気な姿にほっこり和むときもあるだろうと思います。
かーわいいんだよねぇ。お父さんの職場で、小さい子どもがうろちょろしてる姿。
(海老蔵と息子ちゃん)
(勘九郎と息子ちゃん)
子どものほうも、こんなとこじゃなくて外で遊びたいと思ったりもするだろうけど。でも、親のいるところって、小さい子にとってはやっぱり安心できる場所だよね。
◆働く父を見て育つ
そして、子どもは見ています。稽古場を。楽屋を。上演本番を。
地道でハードなバックステージから、観客で埋め尽くされる華やかな舞台まで、大人の仕事の一部始終を見て育ちます。
大勢のスタッフのそれぞれの分担、チームワーク。そして父。本番前の、ピリッと緊張感漂う背中。舞台の真ん中に立って喝采を浴びる姿。
海老蔵にしても勘九郎にしても、生前から父への尊敬を隠しませんでした。そのほかも、歌舞伎では、スター役者の息子は、やはり歌舞伎役者になる例がほとんどです。
「既得権だもんねぇ」って話かもしれない、「レールに乗っかった人生」かもしれない、でもね、大の大人が一生懸命に打ち込んでいる姿を見続ければ、それはやっぱり心に響いて不思議じゃないですよね。
逆に、そういう場面を見ることなく大人になってしまう人間が大半なんですよね。私も、「♪職業選択の自由アハハーン(古)♪ 何でも選んでいいよ~」って言われても、仕事のことなんて何も知らないから、何を選んでいいのかわかんなかったタイプです。
親と同じ職に就くって、前時代的で世界が狭いようだけど、親の仕事ぶりを間近で見て育って「自分もこの仕事がやりたい」と思えるならば、それはすばらしいことなのかもな。と思います*1。
もちろん、伝統芸能に限った話じゃなくてですよ。NHKの『サラメシ』なんか見てたら、田畑とか工場とか、家族で仕事をしてる家って今でもけっこうあるんだなあとわかります。
◆「仕事ってなんだか面白そうだな」と
とはいえ、誰もが子どもに仕事ぶりを見せるってのは不可能ですからね、世の中。我が家も現在サラリーマン家庭。息子を夫の会社に連れていって、父ちゃんの働いている様子を見せてやることはできません。
でも、 「子どもに親のどういう姿を見せるのか?」ってのは、ときどき意識したいなと思います。
「子どもに、どんな人間になってほしいか?」「何を体験させてやりたいか?」 それもあるけど、「子どもに自分の何を見せるのか?」ってことを。
いや、見せようとしてなくても、子どもは見てるものだよね。自分にとって、もっとも身近な大人である親を、無意識のうちにも見て、影響されて育ってく。
A.「仕事って面白くなさそうだな。大人って大変なんだな」
B.「仕事って面白くなさそうだな。でも仕事が終われば楽しそうだな」
C.「仕事ってなんだか面白そうだな。仕事以外も面白そうだな」
できれば、Cがいいよね。
我が子が、会社からなんとなく疲れて帰ってくる親を見て、「仕事って面白くないんだろうな」「大人って大変なんだな」って漠然と思って育ったら悲しいもん。
とかなんとか言っちゃって、今現在、私、専業主婦なんで、「世の中で働く姿」は見せられないんですけどね、だはー。
(おわり。写真汚くてごめんなさいね、エミがテレビ画面撮ったりしたものです。)